鳥取県米子市で占い、カウンセリング、ヒーリングをしています。
夫婦でセラピストをしていますので、嫁さんと読んだ人の人生が楽しくなるよう話を書いていきたいと思います。
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すれ違う親子
JUGEMテーマ:子育て
 鳥取県米子市で占いとカウンセリング、レイキヒーリングをして、人生を変えるお手伝いをしています。ふじ原ツトムです。


またまたmixiのコラムから引用して書きますね〜

今回のコラムは「叱っている時にやってはいけない10ヶ条」ってやつです。
そのうち全部ではないんですが〜ちょっと「個性」とあわないような〜

生年月日をもとにしたセッション(カウンセリング)をしていると「親子関係」で相談に来る人がとっても多いのです。

始めた頃は「恋愛」が多いのかと思っていたんですがね〜

ちょうどこんな記事を見つけたのでちょっと書いてみます。

よくこう言った「親」への「How to」ものって見かけます。ですが何冊か読んでみるとまったくの真逆が書いてある物も多いんですよね〜

このコラムの内容を見ると〜いちがいにそかな〜と思える部分が幾つかあるんですよ。


『「●感情的に叱ってはいけません。」
感情的に叱らないためには、一度、深呼吸をして、気持ちを落ち着けてから叱るといいでしょう。感情的に叱ってばかりいると、情緒不安定な子どもになる場合もあります。』

確かに怒りにまかせて怒るのは良くないのかもしれません。人間は基本的には「怒り」の感情は持って生まれてないんだそうです。「怒り」の感情は何処で覚えるかと言うと「親」が教えるのだそうです。

「親」が自分の「思い通り」にいかない時に怒るのを見て「自分の思い通りに行かせる方法」として覚えるんだそうです。
エジソンの母親は何をしても怒らなかったそうですが、一度だけエジソンが実験中に火事を出してエジソン自身が怪我をしそうになった時にだけ本気で怒ったそうです。
愛情からくる「怒り」は良いのでしょうね〜

さて、生年月日の観点から見るとこれは「びみょ〜」なんです。

今まで何度か「すれ違う男女」で書いてきた「フィックス」「フレックス」の関係で違うんですよ。
子供が「フィックス」の場合はそれでよいと思いますが〜
子供が「フレックス」の場合は「感情」を落ち着けて怒っても「怒られてる」って思わない可能性があります。

何故なら彼らは「ロジカル(論理的)」に物事を判断するのではなくて「エモーショナル(感情的)」にものゴトを判断する為に、「相手の態度」「相手の感情」によって聞いた内容を大きく変化させて記憶します。

そしていくらその内容を理解していたとしても「イメージ的」な要素である「感情」の情報を優先して判断するんです。

すると「冷静」で「落ち着いて」話されると、それは「なんでもない事」だと記憶してしまう可能性があって何度でも同じ事をしてしまいます。その時に「前も怒ったでしょ!」と言われても「怒られた」と思っていませんし、仮に今度は感情的に怒っても「言葉」の内容が同じでも感情の部分が違うと彼等には「別の情報」に聞こえているんです。

逆に「内容」は良くわからなくても「怒ってる」と言う感情を受けると「これは大変な事をした」と記憶するんです。


『「●子どもの言い分を聞かずに、叱ってはいけません。 」
例えば兄弟喧嘩では、喧嘩の理由も聞かずに、上の子どもを叱ってしまう親も多いのではないでしょうか。これに限らず、子どもの話を聞かずに頭ごなしに叱ってはいけません。まず冷静に、子どもの話を聞いてあげましょう。 』

「頭ごなし」に怒るのはよくないのだと思いますが・・・

これも子供が「フレックス」の場合はちょっと違う気がします。

フレックスの子供は上でも書いたように「感情的」にものゴトを判断します。
ですので「特に理由が無い事」が多くあるのです。

ようは「その時はそうしたかった」だけなんです。それを無理やり「理由」を言わせようとしても子供は困ってしまいます。その場をしのぐ為に「嘘の理由」をいう可能性もあります。

「やった事が悪い事」だと言う事を怒るのは良いと思うのですが、「理由」を問いただされると「尋問」を受けているようにしか感じないのです。

これは実は男女間でもよくあります。男性のフィックスはよく「理由」を問いただそうとします。
しかし女性の「フレックス」はこれを「尋問」にしか聞こえなくて、例え自分が悪い事をしたとしても逆に怒り出してしいます。フレックスの人にとって「理由」をしつこく聞かれるのは「責められてる」ことにしか思えないのです。

お母さんはただ「理由」が聞きたくて聞いたとしても「その行為」が「責められてる」「非難されてる」と感じてしまうんです。


『「●くどくどといつまでも叱り続けてはいけません。」
これではかえって親の意図が伝わりません。親の伝えたい内容は心に残らず、怒られているという印象だけが強く残ってしまいます。 』


終わった事をいつまでも言われるのは誰でも気分の良いものではありません。

でもこれも親子の関係で微妙に違います。

実は親子の問題でカウンセリングする場合に一番多い組み合わせは「フィックス」「フレックス」ではないんです。
子供が「Hベクトル」(動物占いで言うとクロヒョウ、ヒツジ、タヌキ、コジカ)と
お母さんが「Aベクトル」(チーター、ペガサス、ゾウ、ライオン)の組み合わせなんです。

これは何故かと言うともっともコミュニケーションギャップを起こす組み合わせだからです。

この組み合わせの場合の子供は「なんで」「どうして」「いつ」「何処で」「誰が」と言う部分の説明がないと何の事だかわかりませんし、凄く「冷たく」感じるんです。

このお母さん達は全員が「フレックス」です、だから「感情」「イメージ」を優先して怒ります。
するとその時に「感じた」事だけを言ってきます。

「何でそうなるのか」が重要なこの子供達にはそれこそ「意味も無く」怒られたようにしか感じません。
同じ事を何度も繰り返すのは良くないですが、「説明」をしないとこれこそ「感情で叱っている」に感じてしまうんです。

ちなみにこの組み合わせで子供に理解させるのはお母さんには「苦行」ですからがんばってください(笑)
これも何かを学ぶ為なんでしょうから・・・


『「●自分の都合で叱ってはいけません。」
疲れているからといって、八つ当りで叱ってしまったことありませんか?後でお母さんが後悔するだけです。』

「八つ当たり」は良くないと思いますが・・・・これは生年月日は関係ないのですが、友人のカウンセラーさんが学校で父兄を対象に講演をしている時に「子供に正直でいてください」と言われたのを覚えています。

「親」であっても人間です。「親」も親として成長してるんですから「疲れてる」「辛い」時はあります。それを隠して「良い親」を装っても子供には簡単に見抜かれてしまいます。

「疲れてる」時は疲れてるって格好をつけないで良いのだと思います。

「イライラ」して怒ってしまっても、「疲れて」八つ当たりしても、何か「大切な日」を忘れても、後で「ごめんね」と言えば子供は理解してくれるんだと思うんです。それが「親子」ですから・・・
むしろカ格好を付けている親の方を子供は信用しなくなります。


何か一つの考えや方法で子供の育て方を決めようとする事、自体が間違ってるのです。

よく一つのクラスで「これが正しい」と「同じように」やる先生とかいますが、全ての「個性」が違います。

「皆の前で話せるように」「人をまとめるリーダーになれるように」と全員にやらせているのを見ることがありますが、それが「苦手」な個性もあるんです。そしてそれが苦手な個性を持っている子供は他のところに「得意」なものがあるんです。

子供にさ勉強をせる為に「テストの点でお小遣いをあげる」のを「良い」と書いている本もあれば「悪い」と書いてある本もあります。これも「個性」で違うんです。
個性にっよては「結果が自分の為に何の得になるか」が理解できないとやる気が起こらないタイプもいます。

そんな子供達が全員が最初から「東大に行って医者になる」と決めているのなら「テストの点」が自分にとっての「何の得」かはわかるでしょう。ですがそんな子供は少ないです(むしろそうじゃない方が良いと思う)

それなら「結果」に対して「自分の得」を渡さないとわからないんです。「お金で釣るのは良くない」と言う「成人君主」な方々がいるのかもしれませんが、「良い」悪い」なんて極めて「相対的」で「主観」の世界です。彼等の個性では「報酬」をもらうのが「良い」なんですから〜

「個性を変える」のではなく「個性を認める」のが一番だと思います。

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| 06:54 | 人間関係(親子、夫婦、同僚、友人・・・) | comments(0) | trackbacks(0) |
意識と無意識のバランス
JUGEMテーマ:人生論
 
前回は「意識」と「無意識」の事を簡単に書きました。

今回はもう少し細かく話していきましょう。


前回、意識が無意識の欲求を「押さえ込み続ける」と無意識は「クーデター」を起こすんだと説明しました。
実はこの意識があまり押さえ込んでいない時期があるのです。それが「子供時代」です。子供の頃と言うのは「意識」の方がまだ確立できていないので、言わば「意識の検問」が無いのです。だから無意識の欲求が素通りしてきます。

しかし「大人」になるにつれて「意識」が確立され始め同時に「社会性」を学びます。

この「社会性」と言うやつが「無意識」にはとてもやっかいな存在なのです。

無意識の欲求多くにはこの社会性とぶつかるものがあり、それらは「社会人」として生きる以上は「意識」は「却下」しないといけないのです。

スピリチュアルや精神世界系の人はよく「無意識」=「心」に従いなさいと言い、「意識」を悪者のように言います。しかし意識の存在がないと「社会性」を失いそれは自分にとってはけして「プラス」にはなりません。

なのでスピリチュアルや精神世界の人たちには「非常識」な人が多いのもこのせいなんです。
「過ぎたるは及ばざるが如し」です。ようはバランスなんです。

無意識側に傾きすぎると「社会性」を失い、意識側に傾くと「楽しさ」を失います。
僕達人間は「社会」という「枠」があって始めて「価値」や「楽しみ」を見出せます。いくら「夢」や「楽しみ」の多くが無意識の方に詰まっていても「意識」を少なくすると「社会」から追い出されてしまうんです。それは結局は「楽しくない人生」になってしまいます。

どちらもバランスよく持つ事です。

「陰と陽」「男と女」「光と闇」

どちらが優れているわけでなくどちらかだけが必要な訳でもありません。

さて、前回の日記で「意識」が無意識を押さえ込んでいる状態の事を少し話しました。これは「意識」の方に大幅に傾いている状態です。
現代人はこちらのタイプの方が圧倒的に多いのです。

その理由の一つには「社会システム」が理由にあります。上で書いたように「社会性」というのは「意識」が作り出しているんです。だから大人になるに連れてその社会性を学ぶほどに「意識」が「無意識」の欲求に「検問」を設けだすんです。これは上でも書いたように社会生活を送る上でとっても必要なんです。

いつまでも「子供」のように「わがまま」を言っているわけにはいきませんからね〜

ですから社会に出ると「意識」の領域を一気に増やすんです。

ところがこの「社会性」って言うやつは時代で変わるんです。

戦後間もない頃に日本は焼け野原になり「壊滅」的な状況になっていました。

しかしその後はご存知の通りに「アジアの奇跡」と呼ばれるぐらいの奇跡的な経済発展をし世界トップクラスの経済大国までわずか数十年で回復したんです。

何故こんな事が可能だったのか?

それにはいくつか理由がありますがその一つが日本人の「国民性」です。

当事の日本人は「日本」と言う国を復興する為に「個人」を捨てたのです。
それはある意味では人間の本能のようなものなんですが国民性がそれを強力に後押ししました。

マズローと言う心理学者は「人間の欲求」について多くの事を述べていますが、その中で「人間は『安全』を得られないと自己の欲求を求められない」と言っています。

ようするに、「自分の身の安全」「安定した生活」が無い限り「自己実現」は出来ないと言っているのです。

戦後の日本にはこの「身の安全」「安定した生活」が無くなっていました。

その為には「個人」ではなく「全体」のよ欲求の為に行動していたのです。

そして現代の日本は「豊」になりました(今、これが少し怪しくなってます)
すると人間は今度は「自己欲求」「自己実現」を求めるようになるんです。

しかし、社会システムが簡単に変わるわけも無く、そして「個人を捨てる」のが美徳とする国民性もあって「自己実現」がやりにくい環境にあるんです。

いわば今はその「転換期」にあたるんです。

その為に1990年ごろから一気に「鬱」の人や「引きこもり」の人が増えてきたんです。それは日本人がもう「全体」の為に「個人」を捨てる必要がなくなったのに社会システムはそれを許さない構造になっているからです。

この社会システムというのは何も法律とか教育の事を言っているのではありません。皆さんが良く口にする「常識」というやつです。
この常識と言うものに基づいて「〜しなければならない」「〜するべきだ」と思い込んでいるんです。

もちろんこの「常識」というやつも「バランス」ですから「必要」なんです。
しかしあまりにもこれに縛られて生きてしまっているんです。

特に僕らの1世代上や2世代上はこれが強いのです。それは上で書いたように「常識」と言う枠で全員が同じ方向に進まないといけなかったからなんです。

ですが今は違います。

「常識」なんて非常にいい加減なものです。

なので「意識の欲求」「無意識の欲求」を区別するのに「〜しなければ」とか「大人だから」「男だから」、「〜するべきだ」という言葉で欲求してくるのは意識です。無意識の欲求は「〜したい」「〜欲しい」「〜したくない」と「理由」がないのです。
それは意識の欲求が「社会性」から作られた物だからで無意識のよ欲求は自分の中から作られたものだからなんです。

そして現代人はこの無意識の欲求を聞くのがとっても苦手です。

それは周りから「こうするべきだ」を刷り込まれてしまったからなんです。

こんな話をすると「無意識が欲求したら人を殺しても良いのか」って言う人がたまにいます。この質問をすること自体が間違ってるんですが〜

これは「Yes」です。

しかし無意識は「幸せ」になる事しか考えていません。人を殺して幸せになれる事があるのでしょうか?僕は無いと思います。仮に捕まらなくても一生心に残るでしょうし・・・・これが戦国時代や戦争中なら少し違うのかもしれませんが・・・
そう言う時代なら無意識が要求してくるかもしれません。
ですが現代ではそれはありえない以上、そんな欲求をしてくる事はなくもしも欲求してきたとすればそれは意識の作り出した「擬似欲求」です。

それでは鏡はこのへんで・・・

つづく〜

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意識vs無意識
JUGEMテーマ:人生論
 
この日記は最初からグリーとmixiとジュゲムに同じ内容を書いてるんです。

mixiには同じカウンセラーや占い師、ヒーラーさん達の同業者や先輩方が多く読んでくれているんで「基本的」な話は「いまさら」感があってなかなか書けないんです・・・
そこで今回はmixiは抜きでちょっと基本的な話から〜

けっこう知ってる人も多いかと思うんですがここに書くのはあくまでも僕の「解釈」なんで「違う」「間違ってる」とか言わないで下さいね<emoji id ="278">


人には「意識」と「無意識」って領域があります。「ユング心理学」ってやつですね。

僕らが自分を「自分」と思ってる部分、そして今、感じている「自分」ltるて部分が「意識」です。そしてそれ以外の「自分では意識する事の出来ない」部分が「無意識」です。

意識と無意識の割合は意識5%で無意識95%と言われています。

最近はこの意識の割合が増えてきてるって話もありますが・・・・

なんにしても大半の部分は「意識」することができない部分なのです。


この無意識の部分には「心臓を動かす」などの体の「制御」も含まれて居ます。

そして人は「字を書く」「箸を使う」「自転車に乗る」「車を運転する」など無意識を多く使ってする行動もあります。

「字を書く」時、慣れた字(例えば自分の名前)などは考えなくてもスラスラと書けます。しかし始めて見る字や覚えたての字は一画一画を「意識」しないと書けません。

自転車に乗る時もそうです。

「体の重心は」「今、右足に力をいれて」「腕をこうして〜」みたいに「意識」はしていません。曲がろうと思えば体が勝手に曲がるように動きます。
最初の頃はこれを「意識」で全てしないといけないから「意識」では制御が追いつかずに上手く乗れないのです。それが何度も練習するうちに無意識が「覚えて」しまうのです。


さてこのように多くの行動にも「無意識」は大きな割合を占めています。

一日のうちの大半を無意識の「判断」「選択」で行動しているんです。


そしてこの無意識の中には「多くの自分」も詰まっているんです。

この「多くの自分」と言うやつが行動に大きな影響をしてきます。

実はこの「多くの自分」は意識とは違う事を思っている事がほとんどなんです。

そして多くの場合は「意識」の方はこの多くの自分を「押さえつける」事で封じ込めてしまっているんです。

この多くの自分には「生涯の夢」「本当にやりたい事」「天職」など誰もが探している物が詰まってます。

しかしここには同時に「劣等感」「幼い時の解消しきれない自分」「思い出すのが辛い記憶」なども詰まっているんです。

これらを意識は全て押さえ込んでしまっている人がほとんどです。

なので多くの人の「やりたい事」「欲しい物」「夢」は「擬似欲求」と言われる「意識」が作り出した偽者な事が多いのです。もしも自分が「やりたい」と思ってしている事が「なかなか味方現れない」「何か上手く回らない」「トラブルが続く」などの「運が悪い」状態が続くならそれは擬似欲求の可能性が高いです。

やっていて「楽しいか」も重要です。「楽しいふり」をしても周りの人は騙せても自分の心は絶対に騙せません。やっていて「楽しくない」のも擬似欲求の可能性が高いです。

これは外部から刷り込まれたり植えつけられた「価値観」によって出来ます。

そして無意識の中に詰まっている本当の欲求たち、「解消しきれてない自分」「辛い記憶」などを意識で気が付かないうちに押さえ続けていると無意識は「クーデター」を起こします。

その時に起こる現象が「鬱」などの「精神疾患」です。そしてもう一つは「外部からの災難」です。

逆に言えばこのような状態になっている時は「本当の自分」を見つけたり今まで解消しきれづに気付かなかった自分を見つける事の出来るチャンスなんです。

よく「自分探し」をしている人がいますが、それは童話「青い鳥」と同じなんです。
「チルチルミチルは幸福の青い鳥を探して夢の中を旅をしますがそれは見付からず、青い鳥は自分達の部屋の中の鳥籠にいた」って話です。


今日はこのへんで〜

次回はもっと意識と無意識の関係を詳しく話します。

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