鳥取県米子市で占い、カウンセリング、ヒーリングをしています。
夫婦でセラピストをしていますので、嫁さんと読んだ人の人生が楽しくなるよう話を書いていきたいと思います。
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ほめる教育は正しい?間違い?

JUGEMテーマ:子育て

鳥取県米子市で占いとカウンセリング、レイキヒーリングをして、人生を変えるお手伝いをしています。ふじ原ツトムです。

 

先日、ネットの記事を読んでいたらこんのを見ました。

「ほめる育児は間違いだった?」

内容はあるお母さんが「子どもは、親がほめることで自己肯定感を育みます!」っていうのをみて、そのマニュアル通りに「ほめる育児」ってのをやったのだそうです。

教育誌に書いてあるんだから「これに従って育児していれば、失敗はずだ」とね。

「子どもは、親がほめることで自己肯定感を育みます!」なんて書いてあったりします。


ところが、高1になる息子さんはその通りに育ててきたのに自己肯定感は低く、少し自分の考えが否定されると学校に行かなくなってしまう子になりました。

 

これどう思います?


逆に「叱られた経験のない子供は社会への適合能力が低い」とも言われますよね。

 


さて、どうなんでしょうね〜


これね。

僕の考えではね。


一つにはよくこのブログでお話しますが、子供全員を一律に同じ方法で「正しい」ってくくるのは無理があるんです。

もう一つは、これは「ただ、ほめればよい」って話になってますね。
言い換えれば「怒らなければよい」って事になってます。

これは教育や育児だけでなくて、人生のうえでも上手く行かない人にありがちな情報や知恵を「知ってる」ってだけなんです。

誰から聞いた情報。

それを「知ってる」のです。


情報が簡単に手に入るようになって、そんな人が増えてきてますよね。

情報が簡単に手に入るのは凄く良いことなんですが、「知ってる」だけに振り回されて余計に悪くなってる人も多いんです。


雑学王にでもなりたいのなら別ですが、情報は知ってるだけでは意味がなくて「理解してる」がないと本当の意味では使えません。


「ほめてあげる」が大切なことは間違えではないんですよ。

 

では、まず「一律に同じ方法」でって方ですが〜

毎度おなじみのパーソナル心理学では、素質によいって「ほめる」の内容が大きく違います。

この記事の中で「子育てカウンセラー」って人がこう答えています。

「結果ばかりをほめると自己肯定感を下げる時がある。頑張ってきた過程をほめないと」


う〜〜ん。

この人はHベクトルなんですかね。

Hベクトルの人は「課程」が大事なんです。だから話す時も「なんで、どうして」から話すので話が長いんですよ。

なので逆にその課程の部分に触れられないと凄く「冷たい」と感じます。


しかし、逆に個人主義で「結果」が重要なEベクトルには課程は「自分の問題」でほめて欲しいのは「結果」です。

とくにこの中では「オンマインド」と言われる2種類と、もう一つAベクトルのなかの1種類は「課程」に口を挟まれるのは大嫌いです。

とくにAベクトルの方は「完璧主義」で「自分で完璧にしたい」タイプでこの部分に、ほめ言葉であれ何か言われる可能性があると何もしなくなってしまう時があります。


僕の扱ってきたケースではHベクトルのお母さんがこのAベクトルの完璧主義なタイプの子供に(組み合わせの上でも非常にそれが強い)、「ほめる」ことをしていたんですがHベクトルの人はどうしても「課程」の部分を重視するので、何もしなくなってしまい「発達障害」ではないかと疑われたりしていました。


基本的には課程の部分を、ほめるって事自体は悪いことでは無いんですが「結果」なのか「課程」なのかどちらにウエートを置くのかは子供の素質で違います。

少なくともHベクトルに対しては「過程をほめてから結果をほめる」

Eベクトルには「結果をほめてから過程をほめる」

こうでないと、ほめた意味が半減します。

 

それと、特にEベクトルのオンマインドなタイプがそれが強いと「ただ、ほめる」と逆効果になります。


例えばテストで99点をとって来たとしましょう。

ここで「ほめる」のですが〜


「99点も取ったのすごいね〜がんばったんだね」


これだど「バカにされた」と思います。


超現実主義で論理思考が強いので、「1点」を間違えているのを無視して「すごい」って言われるのは「ちゃんと見ずに言ってる」「真剣に考えてないんだ」って思われちゃいます。


特にこのタイプは能力も高いので、自分の持ってる理想も高いんです。

「100点」ではないんですよ。


その事に本人はがっかり来てるのに、それをただ「すごいね〜」と言われたら・・・・


ほめることは良いんですが、「1点間違えた」事は指摘しないといけないんです。

そうされると、「適正」に評価してくれるって嬉しいのです。

 

これ逆にAベクトルには厳禁です。

イメージで物事を捉えるこのタイプは、「間違えたことを指摘」なんてするとその前後でどんなにほめても「説教」だったと記憶します。


指摘された時点で、その話のイメージを作ってしまうので「ほめた」事も「説教」とか「責められてる」に聞こえちゃうんです。


例えるなら、どんにコミカルなシーンやお色気シーンがあっても「ホラー映画」は「怖い映画」でしょ。

そんな感じです。

 

Hベクトルに対しては「過程」と言いましたが、確かにこのタイプは過程も結果もどちらをほめても通用します。

しかし、重要なのはそこではなくて「ほめた側も喜んでいる」ことなんですよ。

Hベクトルは他と違って「他人軸」です。

他人軸の人は名前のとおりに「軸」が相手側にありますから、「相手が喜んでいる」事が自分の喜び以上に嬉しいのです。

とくに大好きなお母さんだと余計です。

これは自分軸のお母さんとかにそう説明するんですが、なかなかピンときてないですよね。


他人軸のタイプはこの「相手が喜ぶ」がモチベーションな場合が多いので、この部分が欠けちゃうとほめても「やる気」にはならなかったりします。

 

そうそう、モチベーションの話がでたので〜

Eベクトルの特に「コンペディション」と言うカテゴリーのタイプは、リアリストで自分の損得が重要です。

ほめられることは嫌では無いんですが、「言葉」とかの数字にならないことではあまりピンときません。

ほめると同時に、「わかりやすいリアルな結果」が必要です。


やった内容でそれがあるなら良いんですが、「テストの点」とかではリアルな彼等にはただの「数字」でしかありません。

それなら「報酬」を出した方が彼等はモチベーションにもなるし頑張りますし、その報酬が「ほめた」事になるんです。

 

さて、もう一つの「ただ、ほめればよい」って話になってるってこととですが〜


このほめるって話って、「命にかかわること以外は怒ってはいけない」って話が出てきますね。

これって多分、「エジソンの母」のお話からきてますよね。


発明王エジソンはどんな事にでも「なんで?」って探求しないと気がすまない子供だったので、小学校を3日で追い出されます。

教員の資格のあったエジソンの母はそんなエジソンを決して怒ることなく、エジソンの疑問に答えれることは答えて答えれない事は一緒に図書館に行って調べた。

そんなエジソンの母が一度だけエジソンを叱ったのは、納屋を火事で燃やした時だけ。

それも納屋を燃やした事ではなく、「命の危険があった事」を叱ったってお話です。


さて、このエジソンの母って「ただ叱らなかった」のでしょうか?

それは「結果」なだけだと思いますよ。

 

僕はエジソンの母はエジソンの事を「認めてた」のだと思います。


言い方を変えれば「受け入れてた」のではないですかね。

そんな小学校を追い出されてしまうような「個性」も、認めて受け入れてたんじゃないですか?


だから「叱る」必要がなかったのでは無いかと思いますよ。

「叱る」と「怒る」って違いですよ。


「叱る」のは必要な事を教えてる時に使います。

「怒る」は自分の思い通りにしようとする時に使います。


最初に「素質での違い」のお話をしましたよね。


これもそうなんですよ。


どこかから聞いてきた「正しい」って情報を知って、それを子供の個性や素質の違いも見ようとせずに「自分が知った正しい」に思い通りにしようとしてるのでは?


結局はこれでは「怒る」とたいして変わりはありません。


自己肯定感を低くするのは、叱る事でも怒ることでも無くて「その子を認めない」ことです。


自分の素質からくる正しさ、どこかの誰かが言った「正しさ」でみて、それと違う「素質」「個性」の子供をその「正しさ」に押し込もうとして結果的に「認めない」のです。


素質は完璧なものはありません。

その人の長所を作る素質は短所も作ります。


ダメな所もありますよ、失敗もしますよ。人と違う子供もいますよ。

人と同じで目立たない方がよい子供もいますよ。

負けたくないって子供もいれば、勝ち負けより好きな人と楽しくしたいって子供もいますよ。


その個性が時には「集団生活」である「社会」だとマイナスに働く時があります。

そんな時はそれはその子のそれも個性なんだと認めた上で、生きるために処世術として叱る」ってのが必要な時はあります。

学校って本来は「社会」の練習の場だと思うんですね。


そこには変な規則があって、やくにたつのかわからない勉強をさせられて、不条理なことを言う先生もいて。

これって社会に出たらいっぱいあるでしょ。

だからその為には「叱る」必要もありますよ。

 

それにね。

お母さんだってお父さんだって人間なんですよ。

完璧である必要なんてないんです。完璧であるのが良いならロボットかコンピューターでよいですよ。

彼等は感情で怒ったりしませんし勘違いも機嫌の悪い時もありません。


だから、時には間違えて怒ったってよいですよ。

間違えたと思ったら「ごめんなさい」って言えばよいんです。

根底に「認める」があればね。

 

認めるの反対語は「否定」です。


「ほめる」


「叱らない」

でも否定してたら意味はありません。


このお母さんも「ほめて」はいたんでしょうけど、この子がやりたいことや思っていること個性を「自分の正しさ」で否定していたんではないですかね。


「認める」って「どういう状態」って思うなら、「否定」をしてないかを良く考えてみたらよいですよ。

「否定しない」それで十分ですから。

 

あなたが見ているのは、「自分の子供」ですか?

それとも「誰か」の書いた育児の本ですか?


それでは、これで終わります。

 

 

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